ならぬものはならぬ。
何もしていない子に手を出して良いわけがない。
どうしても欲しいからといって盗んで良いわけがない。
嫌いだからといって靴を隠して良いわけがない。
成人だからといってお酒を呑んで暴れて良いわけがない。
気に入らないからといっていじめて良いわけがない。
泣きやまないからといって食事を与えなくて良いわけがない。
社会にはルールがある。
人間に生まれた以上、守らなければならない。
ならぬものは絶対にならぬ。
何もしていない子に手を出して良いわけがない。
どうしても欲しいからといって盗んで良いわけがない。
嫌いだからといって靴を隠して良いわけがない。
成人だからといってお酒を呑んで暴れて良いわけがない。
気に入らないからといっていじめて良いわけがない。
泣きやまないからといって食事を与えなくて良いわけがない。
社会にはルールがある。
人間に生まれた以上、守らなければならない。
ならぬものは絶対にならぬ。
何気なく言った一言や行動が、相手を傷つけたり追い込んだりすることは、誰もが多かれ少なかれ経験していると思います。(気づかないのは問題ですが・・・。)
そんなつもりじゃないのに。軽はずみで。
しかし、相手のダメージが大きいと感じた時は、まずは心から謝罪をし、次に同じような事が起きないように意識する必要があります。
意識することを意識する。つまり、2重にも3重にも言動を気にかける事で、子ども達や友人・同僚・社内・親子の仲も、言い争いや不仲になる割合が少なくなると思います。
まずは自分から。
保育園児・幼稚園児は芸人ネタやCMネタが大好き。
新しい芸人(あえて「芸能人」とは言わない)が出てくれば、その真似をして喜んでいる。
子どもが発することばや内容にまったく意味はない。ただ楽しくて言っている。
お笑い芸人に一言(いやそれ以上)。
昔の様な漫才や考えさせる笑いとは違って、一発ネタに頼りすぎるがあまり、インパクトの強いパフォーマンスの繰り返しや、ことばと行動が伴っていないリアクションで、笑いだけを考えてはいませんか?
売れるためには本心ではないのかもしれませんが、「欧米か?」と言いながら何回も頭を叩いてみたり、「お前、いつかぶっ飛ばす」という芸(芸なのかよ)は、確実に子ども達が真似をします。それがどういうことか考えてはいないでしょう。
1年後にこのブログを読み返せば上記のネタは変わっている事でしょう。
笑いの内容によっては、放送時間帯の配慮やR指定も必要なのでは?
指導者の人望
子どもを教える前にもう一度、どうして自分が指導者になったのかを考えましょう。
昔そのスポーツをやっていたから。
昔やっていただけで子どもに教えるといった考えは一番無茶な考えです。それはあなたの自己満足だけです。
先生に憧れたから。
「先生」「コーチ」と呼ばれる事にだれも嫌な顔はしません。しかし、その言葉でのぼせている人を多く見ます。
うちの子がチームにいるから。
多くの少年団はお父さん方のボランティアだと思いますが、監督だから我が子はピッチャー。コーチだから我が子はフォワード。
だとしたらそのチームは親のエゴだけのまとまりのないチームで終わっていくでしょう。
子どもは権力の道具ではありません。
頼まれたから。
引き受けたのならとことん子どもの事、チームの事を考えてください。中途半端や片手間で指導をすると子ども達が可愛そうです。
子ども達は必死で何かを体得しようと常に思っています。指導者の言葉一つで人生すら変えてしまうことも十分にあります。
そんな私自身もまだまだ不十分。指導者とは常に考え、成長するものです。
お父様、お母様方がよくいうことばの1つに「私が子どもの頃は出来たのに・・・。」
住居のビル化・核家族化・あそび方・少子化・あそべる場所・・・。
様々な環境の変化が親御さんの時代と明らかに違うのです。
20年前と今とで、生きる力の矢印が変わっているのでしょうね。
今の子ども達は限られた環境で生きている。孫となる子はさらに限られた環境で生きていかなくてはならないのでしょう。
皆様が体験したあそびを普通に子ども達と楽しむ事で、忘れられたあそびが地域のブームになるかもしれません。
人は都合のいいものだけを見ようとする傾向にあるらしい。
実際問題。鼻やメガネのフレームは視界に入っているのに見えていない。
人や動物に関係のある子はその動きをよく見る事で模倣あそびに発展していくが、物に興味のある子は、人ごみの中でも興味を示すものに集中をして見つける力がある。
一見、見えていないのでは?と思われる子も、映像としてキャッチできていても情報として認識されていない事が多いので、いわゆる「見えていない」になる事が多い。
見てほしいと思ったならば「こっちを見なさい」と叫んだところで子ども達は見てくれない。
逆に、おどけたり興味を示す行動をすれば意外と見てくれるものである。
見ようとしない限り、見る力はついてはきません。
「隣の子が塾へ通いだしたからウチも通わせないといけないかしら?」
勉強に対してご家族の軸がしっかりしていれば、右にならう必要はありません。
「あの子が頑張っているんだからあなたも頑張りなさい!」
では、あなたのお子さんは頑張っていないのですか?
隣の芝は青々とみえるものです。 でも所詮隣の家にはなれません。
急速に針路変更をするとお子さんがついてこれなくなり、逆効果になることが多いのです。
「こう」と決めたら貫き通し、補うべきところを軌道修正すればいいのです。
現代の子ども達の“食”に対する変化を、漢字を変換する事で表される言葉に「こしょく」があります。
孤食・・・一人で食べる会話のない食事。
個食・・・カレーやどんぶりなどの1品の食事。
庫食・・・冷凍食品などのいわゆる「チン物」。
粉食・・・ラーメンやスパゲティーのような麺類ばかりの食事。
固食・・・同じものばかりを食べる(好きなものだけに固執する)変食の多い食事。
戸食・・・ファーストフードやレストランなどの店食、出前などの店屋物。
合理性やお子さんとの時間のズレもあるとは思いますが、明るい家庭は食卓からと言います。
皆さんの家庭では会話が弾んでいますか?
昨日のニュース番組で言ったキャスターの議論が衝撃的だった。
「子どもは叱られるのが下手。しかし、最近の大人は叱るのが下手。」
怒るは感情的、叱るは教育的と考えている。
指導中も叱ることはあるが、叱ることが決していいとは思わない。
しかし抑えておかないといけないタイミングでは、やはり言わなくてはならない。
後から言ったところで効果はないからだ。
怒らないゆとりと叱らない指導法。 難しいが努めていきたい。
人間には「3つの別れ」があると言われています。
死別 今までお世話になった人を悼む永遠の別れ。
結婚 女性の大半は姓が変わり新しい環境で愛し合った人と過ごす、育ててくれた両親と別れ。
そして出産。胎児との別れ。神秘的な別れであると共に、この時点で意思をも宿る。
自我がつき「ああしなさい」「こうしなさい」と言ってもなかなか思うようにはいかないもの。
大きくなるにつれて楽しみでもあり、反抗期になると厄介でもあるが、わが子の成長を願わない親などどこにもいない。
この別れをきっかけに楽しんで毎日を送っている家庭は笑顔が耐えないと信じている。
HTML convert time: 0.314 sec. Powered by WordPress ME