いじめについて考える
カミさんとの話の中で「歩く」について考えさせらる内容がありました。
歩くことができた! 階段を上っている! 子どもの成長は見ていて楽しいもので毎日何かの変化があります。でも、ただそれができたからゴールではなくて、あくまでも人間の成長過程においての通過点、むしろスタートなのかもしれません。
小学校に就学し憧れのランドセルを背負って登校する。空のランドセルは背負ったことがあっても実際はその中に教科書やノートなどでかなりの重さになります。その状態で数学年はなれたお兄さんお姉さんと同じスピードでついて行く。歩道橋に差しかかり階段上りはできるのだけれど左右交互に1段ずつ上がることがままならず通学段との差が出てしまう。学校との距離が遠ければ当然歩き続けることは困難で途中で休憩をしてしまう。
それを理解してくれる人的環境ならいいのだが、「早くしろ」「そんな叱り方しかできないのか?」などと言われれば登校したくもなくなるものです。
大津市で1人の少年の死をめぐって毎日のように報道されています。子ども達は親に迷惑をかけまいと食事時や憩いの時間に無理をして気丈に振舞う傾向にあります。だからが故に家庭内では子供同士の出来事に見落としと考えられます。
家庭では見ることのできないお子さんの姿を授業参観などの設定された場所以外で確認することも大切です。
些細なしぐさやちょっとした行動が子ども達にとっては大きな悩みになりえる事を社会全体が意識しなければなりません。手遅れにならない前にシグナルをキャッチしてあげてください。
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