2008年6月11日

チェンジ オブ ペース

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 10:59 PM

野球で例えると、キャッチャーからの返球後に休む間もなく淡々と投げてくるピッチャーがいたとしたらバッターとしてリズムがとりにくく、中継ぎや2番手がまったく違う間合いで変則的な投げ方だったとしたら、相手チームに完全に主導権をとられてしまいます。

相手との駆け引きのあるゲーム、トランプやマージャンなどは、ペースを崩されるとイライラしてしまいがち。ましてや手の遅い人が1人勝ちだと腹が立って仕方がないのではないでしょうか。

100mを10秒で走れる人が18秒代の人を教えるとイライラするかもしれません。国体に出た事のある人が若輩チームの監督に就任すると「何タラタラしてるんだよ」と思うかもしれません。

誰一人として同じ人はいません。誰一人として同じリズム感覚の人はいません。 話し方も、理解の仕方も、動き方も・・・。

私どもの結婚披露宴の際に、日本幼児教育研究会 事務局長の本田先生が「人生はアンサンブル。自然に合うのではなくお互いを合わせる事でいい音色が奏でられるのです。」と祝辞で述べて下さいました。

子ども達に合わせるという事は、いつものペースを一時的に中断させて、視線・口調・考えや発想を合わせる事です。

皆さんはお子さんのスピードやリズムを共感できていますか?



2008年5月30日

雰囲気を保つ

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 11:59 PM

野球を習っている子にも習う理由や続ける理由がひとり一人にあるはずです。

野球が好きで続けている子。友達がやっているから便乗している子。監督が好きだから習っている子。上手になりたいから通っている子。友達に伝えるから足を運ぶ子・・・。

家を出れば家庭とは違うルールのもとに生活が成り立っています。 

家では挨拶をしなくてもグランドでは頭を下げて脱帽で挨拶をするでしょう。 普段は荷物をお母さん任せでも、会場までの往来はバットやグローブを自分でもっていかなければならないでしょう。 家庭でお手伝いをしたことがなくてもベースやラインカーなどを準備しなければならないでしょう。

家庭と外は雰囲気も考え方もルールも多かれ少なかれ違うのです。

習い事の場でも「しっかり並びなさい」「なぜできないの?」「話を聞きなさい」などというのは100%タブーです。 家の雰囲気を修行の場にまで持ち込むことは、お子さんのペースが崩れるどころかその場の雰囲気まで崩れてしまいます。

一度お子さんを預けてしまったら終りの挨拶まで任せるのも親の務めです。 外から見る数少ないチャンスととらえ、お子さんの行動を見つめなおし今後の成長に役立ててください。

お母さんがお子さんに声を発してしまうのは、お母さん自身に自信がないからです。



2008年5月18日

教育現場が危ない?

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 1:03 PM

小学校や中学校から親子体操やキャンプ引率の依頼を受け、訪問することは少なくない。

我々は依頼を受けて、子ども達や親御さん、先生達を楽しませるために日々勉強をし、むしろ自分たちも楽しみながらこなしているが、学校関係者はイベント1つ企画するだけでも段取りや準備で大変な苦労だと思う。

教育を受ける権利はそもそも子ども達が勝ち取ったもの。であるからが故に子ども達は教育を請ける権利がある。

その教育の現場が年々深刻化しているようだ。

ブログを書こうとパソコンを開いたらこんなページがあったので添付しておきます。

すべての現場が混乱を招いているわけではないでしょうし、このページがすべてではないと思うが、どのように捉えどのように感じるかは皆さんの解釈しだいだと思います。

皆様はどのように感じますか?



2008年5月7日

連休明けが大切

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 4:39 PM

十分に家族サービスをした昨日までとは一転して、今日から現実に戻り学校や会社へ向かう光景が返ってきた。

子ども達にとっては久しぶりに学校に、連休中の出来事やお土産を渡すためにウキウキしながら登校する子もいれば、連休で身についただらけ癖から学校に行きたくない子もいるだろう。

新学期が始まって1ヶ月。この時期が一番不安定な時期で、新学期に対応できなかった子ども達が連休を境に不登校になりがちである。

ここは心を鬼にして登校させなければなりません。連休明けから今学期の1年が始まると言っても過言ではありません。

あなたのお子さん、お父さんは、今朝元気に「行ってきます」が言えましたか?



2008年5月2日

我が子は上手く手なずかないもの

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 11:25 PM

子どもは見た事を真似し、聞いた事を口ずさむものです。

目上のお兄ちゃんや近所のお姉ちゃんがやっていることは、あたかも自分が開発したかのように自慢げにやって見せたり、初めて取り入れた情報を得意げに発表する事で、認められたい、ここまでできるんだとPRしたい、と常に思っています。

新年度になり、幼稚園や保育園、小学校でのこの1ヶ月で目新しい情報を1分単位で収集し、処理をし、表現する。これを毎日繰り返しています。

我々は毎日が同じリズムですが、子ども達は毎日が情報合戦です。

言葉による反発や態度による反発もこの時期に目立ってくると思います。 これらは修得した事を大人たちにアピールする表れと考えています。

下ネタや反発用語などはわかっていてもすぐに覚えてきます。言葉がコミュニケーションのウエイトを占めている以上、それらの一言一句を鵜呑みにしているとストレスが溜まってしまいますが、成長の1通過点と考えつつも、言葉が人を傷つけ、時には災いにもなるという重要性を教える時期に来ているのかもしれません。

他人の言うことは良く聞き、やりとりもすんなりいく事も多いでしょうが、両親には素直になれないものなのです。



2008年4月15日

逃げ道を作る

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 11:59 PM

新学期になり、スポーツを始めるお子さんも少なくはないだろう。

サークル的なスポーツであれば楽しさ優先であるが、チームとなると勝利至上主義で練習も厳しく、オーバーワークになりがち。

集中力が続かない学齢・時間帯・気温などで、「集中しろ」とコーチ達は追い込んでいく。真面目な指導者ほど子ども達が練習をしにくる傾向にあり、過度な練習でスポーツ障害(間接部分の損傷)となり、運動すらできなくなる。

常に指導者はドクターでもなければならない。

ある番組で元ソフトボール日本代表監督の宇津木妙子さんが、「日の丸を背負っている以上甘えさせる事はさせない。私と選手との戦い。」と述べ、宇津木流バズーカーノックで選手をしごく。

しかし、ここまでやると倒れるな。と感じた時にわざと捕れない場所にノックをし、「気合いが足りない! 立ってろ!」と言い、実は休憩させる。 親心である。

これはトップアスリートならではの根性論だが、あそび力の少ない今の子ども達へ技術を教えるためには、熱血指導の中にも逃げ道を作ってあげることが必要ではないかと考える。

時には見て見ぬフリも必要です。

部活中に校外のマラソンコースを走りながら100円(消費税導入会時はこの値段)を握り締めてジュースを買ったことが思い出されます。

参考文献 中日新聞



2008年4月10日

ルールとマナー

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 9:29 PM

バッターをアウトにするのは野球のルール。 帽子を取って挨拶するのは野球のマナー。

相手を土俵際で投げ飛ばすのは相撲のルール。 投げた相手に手を差し伸べるのは相撲のマナー。

未成年の禁煙はルール。 吸殻のポイ捨てをしないのはマナー。

運転時の携帯電話はルール。 病院や図書館での携帯電話はマナー。

マナーが悪いとルールになってしまいます。 住みにくい社会を作ろうとしているのは大人なのでしょうね。

皆さんはお子さんにマナーを示す事ができますか?



2008年3月27日

プレッシャー

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 11:45 PM

今日の会員様とのレッスンでの会話の中で、季節になると子どもがプレッシャーを感じるのではないか? という会話となった。

「進学プレッシャー」1学年大きくなることで責任を感じる。

「誕生日プレッシャー」 1つ大きくなることで重圧を感じる。

会員様のお姉さんは春休みと誕生日前になると頭痛を訴え、会員様もその気があるのではないかという。

人間はどん底に追い込まれたり、窮地に立たされたり、期待されると、自分にプレッシャーをかけてしまったり、他人から浴びる事がある。

スキップのスタッフもたまに「できるから頑張ってみなさい」と言ってしまい、注意をすることがある。

私の義姉も小さい頃から「お姉ちゃん」と呼ばれていたが故に「妹と同じように名前で呼んで欲しい」と訴えた時があったという。

長男や長女も「お兄ちゃんだからしっかりしなさい」と常に言われているのかもしれない。

トップアスリートでさえ世界の重圧に自分を見失う。

目に見えない圧力をはね返す事は他人にはできないが、重圧をかけない事はできるはずです。

生活の中でことばや行動のプレッシャーをかける時、かけない時の使い分けも必要なのではないでしょうか。



2008年3月13日

上に立つということ

Filed under: 「スラムダンク」から学ぶ,わからなカン — スキップ江原 @ 11:58 PM

人の上に立つこと。

命令をしたり指示をしたりして少し気分のいいものかもしれません。

しかし、行動や言動に責任を持つリスクもありますし、持っている限りのスキルを伝える使命もあります。

ただ威張ってばかりであったり物事を教えてくれない上司は、下のものから逃げていきます。

あそびはグループ。みんなが楽しく過ごせればそれで結構です。

チームである以上、監督がいてコーチがいてキャプテンがいて、それぞれが信頼しあっていないと勝つことはできません。

会社でも少年団でも同じです。

「どうして○○は言う事聞かんのかなぁー」 「こいつには手こずってばかりだ!」 と思う上司の方。 もしかしたら部下の潜在能力を十分に発揮させていないのでは?

陵南の福田吉兆のように、タイムアウト中に気付かれますよ。



2008年1月23日

邪念が邪魔をする

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 1:09 PM

成熟するとある程度の見通しを立てることができる。

例えばバスケットボールをやったことがなかったとしても、投げ方の規制がなければフリースローくらいなら楽しめたり、ゴルフ経験がなかったとしても、見様見真似でなんとかボールにあてることはできるだろう。

子ども達も例え経験が無かったとしても食器の片づけを、ままごとあそびやお片づけの時間から学び、置き換え、実行に移すことができると思います。

しかし、ある程度できる様になると 「邪念」という悪魔が宿り、時としてパニックを引き起こすことがシバシバある。

例えば、コマ = 紐で巻く → 投げる → まわす → (^o^)丿 の一連のプロセスは順序立てとしてわかっている。

が、しかし、巻き方のコツや投げ方のコツまでを説明している最中に聞きもらし、巻くのに必死な子どもは・・・。  いつまでたってもできずご立腹。

車の運転でも 「大丈夫だろう」が事故やネズミ捕りの餌食に。

経験を十分に積むのも当然必要ではあるが、慣れてきた時やスキルアップをしたい時、初めてのことに挑戦する時ほど 「邪念」 と戦って下さい。



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