2020年12月18日

もう一度思い出して下さい

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 6:52 PM

医療現場も疲弊していますが、保育現場も疲弊しています。

全てのお子さんが言う事を聞く子達ではありません。手がかかる子も当然います。トイレの世話や給食の準備なども限られた職員の人数でやりくりしています。

5歳児(年長)となると進学準備について学校にも足を運んだり個別の書類をまとめたりしなければなりません。

2ヶ月遅れで6月からスタートした今年の新年度。コロナ禍の中で様々な配慮をしながら手探りの状態での保育に先生方は疲れ切っています。

ここで大人達が気を緩めて感染拡大に至ってしまい、休校措置となった場合、また2ヶ月以上も子ども達は在宅となり、お母さんは仕事を休み子どもの世話をしなければなりません。

保育園も休み? そんな事はありません。どうしてもお仕事が休めない家庭の為に縮小してでもお子さんを預からなければなりません。

毎日がハイリスクなのです。

保育園や幼稚園の利用を『当たり前』と思っていませんか?

お子さんを預けている事に感謝していますか?



2020年12月16日

皮肉な話

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 7:54 AM

2年連続雪不足で頭を悩ませた年末スキースクール。

コロナが終息するまで宿泊企画を中止したと思えば、昨日から雪化粧。

ただ、この皮肉は我々だけではなく、素直に喜べない業種はたくさんあるはず。

まだまだ辛抱。



2020年12月11日

イメージを汚すな

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 7:54 AM

放課後等デイサービスでの虐待報道が連日のように入ってくる。特徴のある子ども達に対して接する仕事だからが故にストレスは計り知れないのは理解できるが、暴行や傷害はやり過ぎである。

また、男性保育士による殺害・遺棄事件や、認可保育園園長による暴言・虐待事件の報道を見て、まじめにやっている保育園や幼稚園のイメージまでくすんでしまいそうである。

子どもを預かるプロ、子どもを教えるプロである人達の肩書に『先生』が付くのだが、この肩書が決して偉くもない人柄をおおきくしてしまう。

どこまでがやり過ぎかという理性が無いようでは子ども達にとってはひとたまりもない。

我々も子どもを預かり教える立場として、このような報道がなくなる事を願いたいものである。



2020年12月10日

こりゃダメだっ

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 8:47 AM

久しぶりに名古屋本部まで公共交通機関を利用して、帰りに名古屋駅JR高島屋で買い物をした。

流石にデパート内はほとんどの人がマスクをし、最低限の音量で会話をしている。必要なものだけを購入し別エリアでトイレを利用しようと飲食街の近くを通った矢先に、酔っ払い・大音量・ノーマスク。

ルールを守れないのはやはり大人だけ。



2020年11月25日

なんとかしてあげたいのなら

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 9:48 PM

側転・逆上がり・水泳・跳び箱などを助けて欲しい。という問い合わせがあるのですが、その電話の半数以上が決まって「あと1週間で」という切羽詰まった間際の相談です。

体育の授業でテストがあり、悩みを親に相談できる子もいる中で、出来ない事を親にも言えず泣きながら悩みを打ち明ける。小学高学年の親からの悩み相談の電話が今年も多数あります。

1週間で出来るわけはない事を伝えた上で、残された時間でベストを尽くします。と告げるのですが、金額を伝えるとほとんどの方々が諦めます。

結局のところ、1週間で5万円近くの金額をかけたくないんですね。

申込みがない限り我々は対応ができません。ただ、何もせずに当日を迎え体育嫌いになり、それが引き金で親子間も崩れた例も多く目の当たりにしているだけに、この悩みに応えるのも親の務めだと強く感じます。



2020年11月17日

スモールステップにどこまで付き合えるか?

Filed under: やらなカン,わからなカン,保育・指導のツボ — スキップ江原 @ 7:24 AM

運動療育グループレッスンで、母親の希望で幼児コースに1年生が1人参加している。

彼は、おっとりとした性格。電車が好き。字はすらすら読める。ことわざや雑学もよく喋る。が、向上欲に乏しく、最近ようやく鉄棒の前回り降りを1年かけて泣きながらも1人で出来る様になった程。姿勢保持も不安定で、椅子に1分と座っていられず、寝転がっているか片腕で床を支えて横座り。幼児コースに1人だけ1年生の僕がいると言う事にもまだ気が付いてはいない様子。周りの年中児も度ある毎に指摘をする始末。

学校体育では縄跳びが始まるのを見越していち早くレッスンで取り入れているが、そんな彼なので縄跳びは絶好の遊び道具!というわけでもなく、縄の方が彼に絡まっていく始末。

支援級では前跳びを教えるだろうが、教師も人間。可能性のある子や向上意欲を感じられる子を先に熱心に教え、最後にこのようなケースの子を時間をかけて教えよう!というシナリオを立てる。が、みんなができるようになったからと言って、僕1人だけができない!と思う子ではないため、先生もついつい声を荒げる(私もたまにある事だが)。そうこうしているうちに縄跳びの単元が終わり、今年もできませんでした。という事が体育だけではなく全ての教科に言える事ではないか?とお母様と話し合った。

お母様は疲れ切っている。本人は自分のペース。

親・子ども・教師が笑顔になって初めて教育であり支援だとつくづく感じる。

縄跳びができる様になっていく子は「先生、見て見て」と必ず披露してくる。その子達を認めながらもスイッチの入っていない子にスイッチを入れ、できる様にするまで向き合う。これができる大人達が何人いてくれるのだろうか?と思ってしまう。



2020年11月2日

15歳になる迄に

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 1:12 PM

6年近く通っていた会員様の親御さんから何年かぶりに電話があった。

「情緒が不安定なのでまたレッスンで落ち着きが戻るようにならないか?」

頭は凄く良いが、こだわりが強く、1度へそを曲げるとその日のレッスンは大概が終了するくらいフリーズする。

運動を伸ばすというよりも、情緒面の改善が目的であった彼も高校2年。

学校でも友達はできず、みんなを見返すためにもう勉強をしているそうだ。その為学年1番は毎回らしい。

そんなお母様に「本人が体育で困っている訳ではないので、今更レッスンを再開したところで、小学生のように遊びの延長では無く、スキップに通う目的が彼自身不必要と判断すれば来るはずがない。」「勉強で見返すというが、100点を取ったところでクラスメイトが一目置くかと言うとそうではなく、その学力が後に所得や地位に表れて初めて尊敬される。大事なのは知識の発揮の仕方(使い方)である」と厳しいアドバイスをした。

ご両親が悩んだ結果、レッスンを再開することはなく離れていった。

様々な習い事において、発達に遅れがあるお子さんに対するレッスンは、年度替わりの時期や親の都合で終了とするものではなく、むしろ社会に出ても継続しないといけないケースもある。

ましてや中高生からスタートしていてはほぼ手遅れのケースを多く見てきているだけに、怪しいと感じたら周りの目を気にせず多くの人に相談をすべきである。

その子が社会に出てからが本当の修羅場なのだから。



2020年10月16日

預ける覚悟~就職編

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 10:58 AM

ハンディを背負っている方ならまだしも五体満足で生活をしてきた者ならば、就職先まで連れて行ったり退職時に本人ではなく親や身内が会社に連絡したりするような事は、もうやめなさいよ。

子どもは何歳になっても子ども。いつまでも面倒を見てあげたい気持ちはわからないでもない。しかしながら、一時を過ぎるとその行動の一切が、他人から冷ややかな目で見られお子さんは外での活動に制限がかかってしまう事をわかりなさい。

郡部や離島・スポーツ推薦などの子ども達は中学卒業と同時に親離れをします。ホームシックも当然あるでしょう。でも彼らにとってはそれが宿命であり自立への一歩です。

都会に住む人たちの方がその点は甘いです。何かあると自分の部屋に篭る事ができ、何かあると親に甘えてきた。そんな者達が社会に出て、先例を浴び、数ヶ月で退職する。自分で辞める事もできず。

良い会社なんてめったにありません。もしあるのであれば教えて下さい。でもそんな会社があったとしても今までの行き方では入社は無理でしょう。

これだけ技術が発達し在宅でも稼ぐ事ができる仕事が増えてきたとしても、絶対に必要なのはコミュニケーション能力です。困った時に人と話す。物を買う時に人と話す。物を尋ねる時に人と話す。当然それらの前には挨拶をする。就職前に他人と話す事ができるように家族間の会話を存分にしておく。そして社会にでたら、本人の自覚と責任において行動をさせ、親は温かく見守る。相談は受けるが行動は起こさない。成長させるとは自立した時に手をかけない。そういうものです。



2020年10月15日

預ける覚悟〜放課後等デイサービス編

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 11:18 PM

学校までのお迎え→施設での生活→ご自宅までの送り。を発達の程度によって1週間に数回からほぼ毎日利用できるとても便利なシステム。

厚生労働省が認可する施設ですので老人のデイサービスとニュアンスは同じです。成長過程の子を預かるか老いていく方々を扱うかだけの違いです。

利用前の説明で学習面や運動面をサポートします。と説明はあるでしょうが、勘違いをしてはいけません。

塾じゃないので勉強を教える場所では本来ありません。宿題をさせて欲しいと要望したところで、宿題をする迄のスタンバイが長いのは親御さんが1番わかっているはず。滞在時間が長くても2〜3時間の間に遊びたい子ども達に宿題をさせるのは至難の技です。仮にやってあったとしても本来の宿題の意味は頭の中に備わるかどうかで、プリントを埋める作業ではありません。

利用したとしても学力の把握をするのはやはり親。手を抜いただけ気づいた時には大きな開きとなっています。

預ける以上、その施設のコンセントを理解して、任せるくらいの太っ腹でないと何処も受け入れてくれなくなるでしょう。

あなたのお子さんでさえ笑顔でお預かりしてくれる人達に感謝の気持ちを忘れずに。



2020年10月14日

預ける覚悟〜小中学校編

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 10:31 AM

小・中学校の9年間が日本での義務教育ですが、義務教育という言葉を間違えてはいけません。

義務教育とは、大人が子どもに教育を受けさせる『義務』であり、貧富や男女の垣根を越えて教育を受けたいと子ども達が訴え勝ち取った『権利』です。

学校に行かせないのは本来は義務違反となります。「学校に行かなくて良いよ」と煽る行為も本来は義務違反です。

教育を受けさせる学校機能がいつの間にやらこじれにこじれ、学校教育法で決まった以上、先生達は生活指導まで請け負わなければならなくなり、さらには妖怪と化した親までも対応せねばならなくなりました。

嫌がっているからとの訴えでドッジボールがなくなり、可哀想だからとの訴えでかけっこの1番がなくなり、家でもしていないのにとの訴えで叱る事も出来なくなりました。

教えたいのに教える事が二の次になってしまっている教師。勉強ができると希望を抱いて入学したのに燃えてきてしまう子ども達。子どもの成長を他人任せにしすぎているアホ親。

原点に戻るにはあまりにもこじれ過ぎている。

私の持論ですが、義務教育である以上、小中9年間は学校に通う。午前中に体育や図工・音楽などの授業を最低限盛り込む。給食後の午後から学校で引き続き受けるか、塾で受験や進学に必要な5教科集中して学ぶかを選択できる。

塾では生活指導はする必要がないので、学習態度が悪い生徒・児童は退学させられ学校に戻る。学校が決して下等教育ではないが人間教育はしっかりしてくれる。

教育を受けさせる義務を理解して、子どもの権利を温かく見守ってほしいものである。



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