2020年8月17日

空襲体験者の話

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 9:34 AM

岐阜県大垣市に住んではや8年になる。新興住宅が日に日に建てられてはいくものの私の部落は本村といわれる農村部落。私以外のほとんどは田畑を持っておりその半数くらいが米作りに従事している。夜になると救急車や犬の鳴き声が何キロも先から聞こえ、とにかく政(祭り毎)の多い『ザ・田舎』である。

そんなザ・田舎だから分からない事だらけ。その度に人に聞く事で親切丁寧に教えてくれる人情深い地域でもある。

ゴミ出しをしてから隣のおばあちゃんと立ち話となり、ひょんな事から空襲の話に発展した。

今年で87歳。まだ歩いて畑仕事ができる程体も丈夫で耳も遠くない。

生まれも育ちもこの家だから色々あったが、こんな事を若い人に話すと笑われると思って初めて話す。との前振りで話が進んだ。

「垂井町(関ヶ原町の東隣)から大垣市街にかけて爆弾を落としていってあんた(私)の家の北側の空き地にも落ちて爆発した。慌てて家族で堤防まで逃げた。」

鉄鋼や電気機器・繊維・紡績などの工場が今でも稼働している盛んな工業地帯でもある西濃地域だからか、空襲の標的の1つとなったのであろう。故に幼少時代は大変なご苦労をなされたようだ。

テレビで原爆や戦争の体験を語る特集番組はこの時期になると良く放送されるが、実際に経験した人から聞く話はそうそう無い。

貴重な立ち話だった。



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