2017年10月23日

教え時

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 12:54 PM

子ども達は毎日のように発見があります。発見があるという事は、その分疑問もあり感動もあります。

どうして?   どういう意味?  これってなに?

聞くのが楽しいだけ。答える反応を嬉しがっているだけ。の時期もありますが、小学生くらいになると知りたいという意識が多感になります。

子どもが聞いてきた時が教え時。

嫌がったり後回しにしたりせず、手を止めて耳を傾けてあげて下さい。

仕事はいつでもできますが、その時の疑問は今しか抱かない可能性があるからです。



2017年9月21日

いつやるの? 家でしょ!

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 5:30 PM

体育教室で逆上がりができるようになったとしても、

学習塾でいくら勉強を教えてもらっても、

学校でいくら嫌いなものが食べられたとしても、

自宅でそれを発揮できる時間や、それを認めてあげるお父さん・お母さんがいなければ、子ども達はやろうとはしません。

認めてくれ褒めてくれる身近な人がいるから子ども達は頑張るのです。

頑張ったことを見てもらいたいから嫌なことも我慢して取り組むのです。

たとえ習い事で上手くできなかったとしても自宅でチャンスを与えることが大事です。

いつやるの? 家でしょ!

教育機関で習得させ、ご自宅で改めて発揮させてあげてください。



2017年9月19日

駆け込みは無駄銭

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 10:48 AM

毎年この時期になると「来週が運動会です。かけっこが早くなるようにレッスンをしてください。」との問い合わせがひっきりなしにあります。

私達も運動会シーズンに向けてスタッフの準備は致しておりますが、同時期・同時間に何十人と承ることは出来ず、結果お断りをする次第です。

よくテレビで(弊社も取材を何度となく受けましたが・・・。)運動会前になるとかけっこのコツが特集で組まれます。それを見て体育家庭教師にお願いしようと電話がジャンジャン鳴ります。

テレビでは1回目より2回目の方がタイムがよくなった。という編集をなされますが、腕の振りや足のあげ方はよくなったとしても、実際の運動会では両側にお友達がいて大声援の中で走るわけです。

そんな練習までを行うとなると、『あと一週間』でタイムは速くなったとしても順位を上げるまでには至りません。

何度となくつづっていますが、運動は一夜漬けができにくいものです。  水泳も運動会も、せめて4か月から半年先を見据えてお子さんの姿を届けてあげてください。

ちなみに、スキップの 出張スポーツ家庭教師 は、1年以上待ちとなります。アリーナ個人レッスン は、空き状況に応じて随時承ります。



2017年8月9日

この夏で何を身に付けるか?

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 10:26 PM

夏休みに何を身に付けるか?

暑い真夏にクーラーの部屋で独学で学力が上がれば最高ですが、夏の宿題を消化するのが精一杯。一般的には受験のための夏期講習ですが、1~4年生の現状維持及び2学期の対策のための塾は私の知るところ、まだありません。

学力向上も大切ですが、せっかく家にいる時間が多いのですから、我が家のモラルや人間力、生活力を高めてみてはいかがでしょうか。

 

「おはよう」「おやすみなさい」と挨拶をする。

家族で食事をする。

親子でたくさん話をする。

服をたたむ。

皿を洗う。

 

簡単な事をこの夏に行い続ける事で、お手伝いにはならなくとも、大人になった時に必ず有り難みを感じるはずです。

何を身に付けるか? 何を身に付けさせるか? を考えてみてはどうでしょう。

 

 



2017年7月12日

飛ばずに消えたシャボン玉

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 9:25 PM

実は今日の午後からカミさんと病院に診察に行ってきました。

14週目の命が旅立ちました。

結婚10年目。

どうしたら産声が聞けるのでしょうか?

今夜は二人で泣かせてください。



2017年2月5日

ちゃんと行く

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 7:44 AM

みんな仕事を持っています。みんな勉強にいそしんでいます。

頑張っているからこそ文句も言いたくなるでしょう。

忙しいからこそ衝突もあるでしょう。

一生懸命だからこそ他人が頑張っていないように思えるでしょう。

「もっと寝たいよ」「行きたくねーな」

でも、ちゃんと行きましょう。

みんながあなたを必要としているから。誰かが助かっているから。

頑張らなくても良いんです。ちゃんと行きましょう。



2017年1月19日

考え方の違いを認め合う

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 11:05 PM

契約先の放課後等デイサービスの職員の方とレッスン後に、レッスン内容や子ども達の今後の方向性について、話し合いをしました。

気性の荒いお子さんが多く、職員の方にも手や足が頻繁に出ます。

私は教育者という立場から『ならぬものはならぬ』をしっかりと伝えていかないと、成人となった時に犯罪者になるのでは?という思いから、その場で伝えていく事が望ましい。という考え方ですが、デイサービスの方々は介護士などの福祉経験者が多く、自己肯定力を尊重し褒める事柄を見つけ一緒になって喜んであげたい。学校では叱られてばかりなのでせめてここ(デイサービス)では心のオアシスであってほしい。と告げられました。

叩かれっぱなしでは職員の方々が参ってしまうのではないかと心配する私と、それでも子どもを認めてあげたいという職員の方々との思想は食い違うものの、子ども達の成長を手助けしなければならない。という思いは同じで、時間をかけて支援していかなければなりません。

教育と福祉。思想の違う両者を理解する事はなかなか難しいですが、話し合い認め合うことで互いの持ち味が発揮され、子ども達にとって有意義な日々が過ごせることを願っています。



2016年12月24日

切手1枚でも

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 9:25 PM

請求書やDMの郵送のために切手を買いにコンビニエンスストアに行く事がしばしばあります。

1人の店員はカウンターに封筒を置いて「82円切手3枚」と告げても52円切手か?と聞き返したり、袋に入れるか?と聞いてきたりと状況がわかっていない。

かと思えば、列が並んでいても切手を貼りやすいように一枚一枚切って渡し、水を含んだスポンジを提供してくれ、更には「当店にはポストがありませんが交差点の角にございます。」と。

切手一枚でもお客がこの店に何を求めにきてどうしたいかを自然に対応できるだけでも、お客としては心地よいものであり、また利用したいと好印象を与えるものです。

残念ながらスキップスタッフに足りない対応の1つです。



2016年11月25日

報告と警告

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 7:43 PM

カミさん方の家族会が開催され実家で食事をしました。同じ学区内に実家があるので毎週に近い頻度でよく会ってはタダ飯を喰らっています。

介護職をしている義姉と高齢ドライバー事故の話になり、生活の一部である車が乗れないことは非常に不便。だけれどハンドルを持つことで本人もしくは他人、両方まで辛い思いになる可能性がある。かといって免許証を返納しても技術まで返すことは出来ないため、自宅に車があるといざとなると運転できてしまうので解決策にはならない。など答えの出ない熱い討論になりました。

ニュースで報道されることは他人事ではない。明日は自分になる可能性も0ではない。

ニュースは毎日の出来事を詳しく『報告』してくれる。でも見方を変えると、そのすべての出来事が明日以降の私たちにとっての『警告』ととらえても大袈裟ではない。

事故  火事  ご近所トラブル  etc

自分を知り家族や他人に迷惑をかけない心がけと決断が、今の時代には必要なのかもしれません。



2016年11月15日

K・Y

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 10:22 PM

幼稚園の園長先生と、発達障がいのお子さんの行く末の話になりました。

子ども達は毎日を一生懸命に頑張って生活しています。でも少しだけ頑張りすぎて、大きい声になってしまったり、順番を抜かしてしまったり、力が入りすぎてしまったり、悔しさが抑えられなかったり・・・。

私が小学校の頃(もうすでに35年以上も前)は、発達障がいという言葉も聞きなれず、みんな平等に叱られ、褒められ、立たされ、励ましてくれ、程よい緊張感の中で学校生活を送ったものですが、時代は変わり、加配の先生が付き出来ない事に対してサポートをしてくれる(全部を全部助けてくれるわけではないのでしょうが)。

特殊学級や放課後等デイサービスなどで様々な学習をし、社会性やセルフコントロールを身につけようと頑張っている中で、『K・Y』 (ここでは、空気が読めない。読みにくい。)の子や人が社会に出るまでは何とかしてあげたいと願いながら先生や支援員の方々が力を注いでいることでしょう。

その子たちを取り巻く人たちにはもう一つの 『K・Y』 (ここでは、危険予知)をも意識しながら接していかなければなりません。

昨日、福岡の保育園で排水溝に頭を突っ込んで倒れていた園児の報道がありました。このような事が起こりかねない。そう考えた時に子どもを取り巻く 『危険予知』 と、育児を怠ったばかりに私達が被害にあうかもしれない二次災害・三次災害の 『危険予知』  も意識しなければならないのかもしれません。

本人達の努力以上に取り巻く人的環境である私達が理解するための努力をし、バリアフリーとなる日が近づくようにみんなで考えていかなければならない事だと思います。



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