2013年2月28日

親の口癖が変わるかも・・・?

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 11:32 PM

昨朝の「めざましテレビ」で運動と学力の対比についての特集がなされていました。

「勉強しなさい!」という親の決まり文句が「外で遊んできなさい!」と言える家庭であってほしいと思います。

昨今、遊びの重要性が見直されています。

遊べる子は将来的にコミュニケーションや応用力が必ず生かされます。

遊べる時期に十分遊べる環境設定を。

このブログで言う「あそび」とは、テレビゲーム以外の体を使ったあそびの事です。



2013年2月4日

体力なくして勤勉なし

Filed under: ちょっといい話,わからなカン — スキップ江原 @ 10:06 PM

年末の忘年会に先輩の先生方が声をそろえて言ってくれた言葉。

「体力なくして勤勉なし」

国立大学を目指している受験生に 「何故走っているのか?」と訪うたところ、「運動しないとバテます。」と。

受験勉強は頭だけではないのです。体力も当然必要。

小学生のお子さんをお持ちの親御さんに、「小学○年生になったから塾に通わせますので・・・。」と言って運動系の習い事と転換される人がいます。

思いはわかりますが残念な考え方です。 最後は体力勝負なのです。



2013年1月20日

ファイト

Filed under: やらなカン,わからなカン — スキップ江原 @ 10:24 PM

♪ ファイト! 戦う君の唄を 戦わない奴らが 笑うだろう

努力者をそうでない者が「頑張りなさい」「一生懸命やれ」というものである。

応援するのは簡単。批判するのも簡単。

戦わない奴らの言葉には重みは無いものである。

何かを目指しているお子さんをお持ちの親御さん。

戦っているお子さんの唄を普段から理解してあげてください。



2012年12月3日

道具を惜しむべからず

Filed under: ちょっといい話,わからなカン — スキップ江原 @ 11:58 PM

両親の幼少時代はお金に余裕が無く道具も買えない時代でしたので、軍手を何重にも重ねてグローブにしたり、習字の練習も贈答品で頂いた包装紙の裏を使って一面黒くなるまで書いたりしたそうです。

それが今ではすぐ購入できる時代となりました。が、安物買いの銭失いではいけません。例えば縄跳び。100円も出せば縄跳びも種類は豊富。でも幼児には幼児用の縄跳びがあるんです。グローブも1,000円以上で買えるのにはびっくりしましたが使う人にあっていなければ問題外。

上達させるためにはやはりそれなりに上質の物を与えてあげて下さい。何も高いものを購入して下さいと言っているわけではありません。サッカーを習わせたいのであればゴムボールではなく合皮や本皮の本格球。ローラースケートで遊ばせたいのであればローラーの回転がいい物を。スキーがさせたいのであればプラスティックのおもちゃではなく身長くらいの板を履かせる。

道具を使用するスポーツの成長の妨げの大半が道具が合っていない、もしくは道具そのものの性能に問題があります。要するに書けないペンで字の練習はできません。習い事を始める第一歩は道具の見極めとやり繰り上手なお母さんのちょっとのアイディアです。



2012年10月10日

めんどくさい

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 4:15 PM

最近気になる子ども達の口癖。

「めんどくさい」

本当に面倒ではなく、単に口癖?

「跳び箱をしますよ」 「めんどくさい」

「掃除をしてください」「めんどくさい」

でも、ドッヂボールやリレーとなると体力の消費とは関係なく頑張れる。

この言葉を言うとおまけをしてくれるのか? この言葉を言うと楽になれるのか?

「めんどくさい」なんて言ってしまったら全てがめんどくさい。 それを乗り切ればきっと良いことがあるのに。

言えば言うほど言った本人が不利になる、嫌いな言葉の1つ。



2012年9月16日

とても残念な問い合わせ

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 10:06 PM

9月に入り、運動会の駆け込みレッスンの問い合わせがほぼ毎日のようにあります。決まって私は「1週間で夢を叶える事は不可能に近いですが宜しいでしょうか?」と話すと、結構ですと電話を切られてしまいます。

お金儲けに走ればこんな対応はしないのがセオリーでしょうが、すべてを受け入れてしまうが故に「スキップは子どもをうまく教えきれなかった」と悪評が出回るのが目にみえます。

何度も訴えますが、お父さん・お母さん。お子さんの運動レベルとやる気を把握して技術を向上させるのには早くて1ヶ月かかると思って下さい。ましてや個人レッスンをお願いするほとんどのお子さんは運動ができるからではないと考えた場合、半年の猶予を私達に下さい。

できれば皆さんの夢を叶えてあげたいと常に思っていますが、間際での対策で良い結果が望めるとは思わないで下さい。

お金がかかるからどうしよう? とお思いであれば、今からでも遅くはありません。来年のために家族で1年間かけっこや水泳を一緒になってやってあげて下さい。

私が言うのもなんですが「体育家庭教師」なんて、本来この世に存在してはいけないのです。



2012年9月10日

戦いごっこの必要性

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 10:32 PM

今日の保育園レッスンで園の先生から「父兄から「戦いごっこをさせないでほしい」と言われてしまったんですがどうしたら良いでしょう?」と相談を受けました。

どんな経緯で親御さんが園に対して戦いごっこの中止を訴えたのかはわかりませんが、5歳児のレッスン前に園児達にあえて戦いの話をしました。

虫や動物・鳥などは2つの理由で闘わなければならない。

1つ目は「生きていくため」。ライオンやトラなどの肉食動物、トンボやカマキリムシなどの節足昆虫、タカやワシなどの肉食鳥獣は、自分や子ども達が生き抜くために「違う種」と戦わなければならない。狙われた者達も生き抜くために逃げ切り、窮地に追い込まれた時には捨て身で攻撃をもしなければならない。

2つ目は「結婚するため」。これは「同じ種」との戦い。勝った者のみが晴れてメスと巡り合う事が出来る。

人間は理性でコントロールできるが叩き潰すや蹴り潰すは人間として失格である。 出来れば戦わないほうが良いが戦い方は知っておかなければならない。

などのような内容を子どもにわかりやすく話をした。

みんながみんな静かに、時には目を輝かせて聞き入ってくれましたが、私が話した内容が心に響いたかは未知数であり、また、このような話をして良かったかどうかは無責任ながら私にもわかりません。

でも、私自身、兄弟喧嘩ができる家族構成が減少し、身体を使ったじゃれ合いや組み合いが制限されているゲーム世代の子ども達に対し、ルールのあるあそびの中での「あらそい」には大賛成なだけに、戦いごっこの苦言は理解が出来ません。

最近のヒーロー番組はおもちゃメーカーとの癒着からか、カードや武器がやたらと高く感じるが、もしそれが苦言の根底であれば銃や剣の使用は禁止。昔の仮面ライダーのようにライダーキックを必殺技として戦ってほしい。

子ども達もごっこあそびから相手への力の強弱はわかるはず。男の子はヒーローへの憧れからいろいろな冒険をするものです。

皆さんは「戦いごっこ」についてどう思いますか?



2012年9月1日

20年のギャップ

Filed under: わからなカン,保育・指導のツボ — スキップ江原 @ 3:28 PM

以前、私と20年以上の歳の差がある園の先生や講師先生とよくぶつかった事があります。お互いに意見は正論。しかし、年の功というか頑固というか、御老体の先生方の意見が絶対となってしまうケースばかりでした。

20歳も歳の差があれば当然生きてきた時代が違い、考え方や経験値もはるかに違います。先生方に気に入られようとした時期もありました。気を配り目を配りとにかく物事がうまくいくようにと脂汗を流した時期もありました。

そんな雰囲気でのつき合いですから、そこから学んだ事が多く生かされている反面、その時は苦痛で仕方がありませんでした。結局、意見の食い違いから離れざるを得なくなった大先輩達が多くいます。

彼らから学んだこと。いわゆる反面教師。同じ事を20歳前の時代に戻っていては誰も私に寄り付かなくなるでしょう。彼らの意見を尊重し、学べることは学ぶ。若い意見が出し合える環境を作ってやる。しかしながら抑えることは抑える。

当然、私と学生スタッフの生きてきた時代は違います。それは否定ができないことです。 「できるつもり」「わかっている前提」で説明をすると、以外にも話が食い違うことが多々あります。そこで 「なぜそんなこともわからないの?」と叱ってしまう私がいたら、それは大先輩と同じになってしまいます。

若者は今を一生懸命に頑張っています。私も今を一生懸命に生きています。しかしながら違う時代を生きてきた以上、経験値の少ない下の者が上を者を理解する以上に、経験豊富な上の者が下の考えを理解してやらないと共存はありえません。(理解しても共存は難しいんですけどね。)

今回、東海学園大学の3年生と3日間の合宿に同行しましたが、明らかに私とノリが違います。そののりに入っていくか否かは私が決めることで、そのノリに入れてもらえるか否かは普段の彼らに対する私の接し方だと思います。

20年のギャップを理解してうまく付き合った者勝ちのような気もします。



2012年7月16日

いじめについて考える

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 12:26 PM

カミさんとの話の中で「歩く」について考えさせらる内容がありました。

歩くことができた! 階段を上っている! 子どもの成長は見ていて楽しいもので毎日何かの変化があります。でも、ただそれができたからゴールではなくて、あくまでも人間の成長過程においての通過点、むしろスタートなのかもしれません。

小学校に就学し憧れのランドセルを背負って登校する。空のランドセルは背負ったことがあっても実際はその中に教科書やノートなどでかなりの重さになります。その状態で数学年はなれたお兄さんお姉さんと同じスピードでついて行く。歩道橋に差しかかり階段上りはできるのだけれど左右交互に1段ずつ上がることがままならず通学段との差が出てしまう。学校との距離が遠ければ当然歩き続けることは困難で途中で休憩をしてしまう。

それを理解してくれる人的環境ならいいのだが、「早くしろ」「そんな叱り方しかできないのか?」などと言われれば登校したくもなくなるものです。

大津市で1人の少年の死をめぐって毎日のように報道されています。子ども達は親に迷惑をかけまいと食事時や憩いの時間に無理をして気丈に振舞う傾向にあります。だからが故に家庭内では子供同士の出来事に見落としと考えられます。

家庭では見ることのできないお子さんの姿を授業参観などの設定された場所以外で確認することも大切です。

些細なしぐさやちょっとした行動が子ども達にとっては大きな悩みになりえる事を社会全体が意識しなければなりません。手遅れにならない前にシグナルをキャッチしてあげてください。



2012年6月5日

原因の起源

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 6:18 PM

個人レッスンの会員様から問合せの連絡がありました。「どうやら子どもは発達障がいではないそうです。」と、明るい口調で話されました。

言語の獲得はスムーズだったものの、就寝する時も少しの物音や動きで起きてしまったそうで、もしかしたらと思い保健センターに相談したところ、発達に遅れがあるのではと言われ、1年間訓練を受けていたそうです。スキップに入会したのは今年になってからで、まだ4ヶ月目ですが、ひっかかりに時間がかかるものの習得は早く運動面・あそび力から見て遅れているとは感じられませんでした。むしろ毎回楽しそうにあそんでいます。

ある日、保健センターの方から「健常ですよ」と言われたらしく、その原因を辿る事となったそうです。どうやら夫婦間にいざこざがあったらしく、それでお子さんが発達障がいに似た行動や習慣をしていたのでは?という事のようです。

子どもは小さな眼でしっかりキャッチしています。時には大人さえ気づかないような事までやり抜く力があります。何故なら大人は過去の経験から、見た情報も必要か不必要かをふるい分けているのです。しかし子どもは毎日のように情報収集をしようと必死になっています。だから良い事も悪い事も学習していくのです。

実際に口論などは見ていなくても些細な表情や行動で子ども達はお父さん・お母さんに何があったかはわかっているものです。でも、子どもながらに理性が働き口に出さないだけだとしたら、副作用で話さなくなったり昼夜逆転になったりとストレス異常が起こる可能性もあります。

お母様は健常だったという事でホッとされておられ、これからも引き続き個人レッスンをお願いしますとの事でしたが、私からは、とにかくお母様が楽しい事を見つけお母様自身がまるくなる事がお子さんの成長にもつながりますよ。とお伝えしました。

家庭環境はとても大切です。子育てはステージが整って初めて1歩が踏み出せます。皆さんもまずは夫婦の絆を深めて下さいね。



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