2015年12月16日

免許が必要な仕事

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 6:13 PM

日本では、国家資格や認定資格などの免許を必要とする仕事、免許や資格を保有している人の下で働くことができる仕事、免許や資格を必要としない仕事 がある。

弁護士・医師・教員などになりたければ、大学で一定の単位を取得後に国家試験を受験し合格しなければなりません。

介護福祉士・調理師などは、学校での単位を取得後に国家試験を受けるほか、実務経験3年以上及び一定の研修を受講後に受験するパターンもあるようです。

会社員や自営業は特別なものを除き面接を経て就職するのが一般的でしょう。

私達 SKIPのスタッフは国が認定した職業ではないので、『幼児体育指導者』 という国家資格はありません。が、全く無免許のものが現場に出ることは無く、教員免許・幼稚園教諭免許・保育士免許・作業療法士・幼児体育実践指導士・心理士 などの資格保有者や相応の大学を卒業している者を選考しており、幼児・児童・発達に遅れがある子達の勉強を常にしています。

「今でしょ」で有名な予備校の先生も、は教員免許を持っておらず、国語が専門ではなかったようです。

厚生労働省がこのほど、保育士不足を解消するために無資格未経験の人にでも保育所で子どもの世話ができるよう、保育基準を緩和しようとする動きのようです。http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/jikenbo_detail/?id=20151209-00046327-r25

我々の仕事は子ども達に体育を教える事。予備校教師の仕事は志望大学に合格させるために子ども達に勉強を教えること。だからと言って教えるだけではなく悩みを聞いたり時には親の相談を受けて将来を考えたりします。が、あくまでも補助機関です。

しかし、学校の先生は子どもに勉強を教えるだけではなく、生活指導や道徳・人としての生き方を教え、子どもの人生に影響を与える可能性のある立派な仕事。だから国家資格が必要なのです。

保育士もただ子ども達を世話しているだけではなく、学齢・発育・発達を考慮した保育案を考え、季節に応じた保育やピアノに合わせて歌を歌う、健康への配慮 などなど、保育所保育指針をに沿って子ども達を預かっている、大変な仕事です。だから国家資格が必要なのです。

保育士・幼稚園教諭・学校教師・医師・看護師 などの、人とのかかわりを必要とする仕事において無資格の人を採用することについて、全くもって 『ふざけるな』 です。

が故に、国が資格保有者の仕事に対する給料の確保・仕事環境の改善を速やかしてもらいたいものです。そして我々のような保育や学校の補助機関が更なる指導力を向上させて最高のサポートをしていかなければならないと考えます。



2015年11月15日

目指す処

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 5:44 PM

保育園や幼稚園に行くと必ず話題になるのが  『今後の園のあり方』。

例えばスキップの場合、運動が苦手なお子さんや発達に遅れがあるお子さんに対し、マンツーマンでレッスンを行う。といった目的に基づいて会員様と個人契約をし運営しています。

が、保育園や幼稚園の場合、園の方針はあれど時間内に子どもを預かって、成長を見届けつつ、無事に親元に帰す。

いつしかこの当たり前の保育システムに乱れが生じ、技術向上・過剰保育・高い要望などなど、子どもに対する便利屋さんになってしまっています。

よく親子体操の〆に 「私達体育指導者を含め保育園・幼稚園の先生達が100%の力でお子さんにエネルギーを費やしても、親御さんの10%程度ですなのです。」 と訴えています。

残りの90%は、やはりご家庭の力がお子さんを育むのです。

お子さんの到達点をどこに向けるか? 何を目指すのか? をぼんやりながらも見据えた上で学校や塾だけに委ねるのではなく、家庭での取り組みを今一度話し合ってはいかがでしょうか。



2015年9月8日

キラキラネームから考える

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 5:28 PM

先日体育レッスンで訪問した保育園の園長先生から、保育士研修で勉強された資料の一部を頂きました。その中に 『実在する子どもの名前です。読み仮名を書きましょう。』 とあり、10問ほどの名前だろう漢字がありました。

① 黄熊 = (      )
② 愛猫 = (      )
③ 美貝 = (      )

皆さんは読めますか? 私は読めませんでした。普通に読んで読めるものではなく全て当て字です。

日本国ができ、日本語があみ出され、読みに合う文字 (漢字・ひらがな・カタカナ)が開発され、手紙や看板・本や表札など広く用いられ、目で見て、読み、伝え、書く。といった行為が何百年と続いてきました。

が、言葉も生き物です。その時代時代にあった進化を遂げていきます。大手書店が辞書を毎年改訂しているのはそのためだと思います。

名前にはその子に対する両親が込められています。たとえキラキラネームでも決してあそび半分でつけた名前ではなく、生涯誰からも愛され呼ばれていくのですから、真剣に悩み考え命名したことでしょう。

であるものの、上記の名前は説明ナシでは読んでもらえないというのがあります。病院や役所などの公共施設で毎回説明する両親の精神的体力があればいいのでしょう。

また、いじめの対象にならなければと懸念はしています。親がどこまで守ってあげられるかです。あだ名や呼び方などの言葉遊びは時として心に大きな傷を生みます。

悪魔君騒動で命名申請を受理しなかった事が何年も前にありましたが、それを思うと役所も緩くなったなーと思います。

あと50年もすると、富さんや梅さん・はっつぁん・太郎さんのようなお爺さんお婆さんは存在しなくなるのでしょうね。



2015年8月30日

宿題代行業から考える

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 1:00 PM

昨今、宿題代行なる商売が大盛況のようで、夏休みの宿題(感想文や自由研究など)を子どもに代わって有償で行う業者で、ラストスパートの月末は大忙しのようである。

代行に関してはこの時期はサザエさん一家ですら、カツオ君の宿題を波平さんとマスオさんがはちまきを巻いて行っているシーンを今夜も見ることでしょう。

実際にこの代行業に関しては賛否両論で、「ビジネスにするな!」「ウソを教えている」という意見もある中で、「入試に向けて塾の宿題が多く学校の宿題まで手が回らない」「親が見る暇がない」などの依頼する側の意見も。

正直、SKIPを立ち上げる時も「体育に家庭教師など必要ない」と、私でさえ思ったくらいで、高額なお金を頂いてあそびに付き合うなんとも阿漕なビジネスだ!と疑問符がいっぱいつきました。

ビジネス面から考えると、ニーズがあるから成り立っている。 教育面から考えると、あってはならない業種である。

私が思うに、子どものためを思ってかどうかはなど理由はともあれ、依頼主は子どもではなく明らかに大人。愛する子に楽をさせていることに間違いはない。百歩譲って受験で忙しいためであったとして、合格して立派な中学や高校に進学しても、どこまで子どもをかばって生きていくのかの見極めをつけないと一生尻拭いである。

子どもの立場で考えると、他人がやった宿題で評価されることに恥ずかしさを感じる社会人になって欲しい。ましてやそんな作品を自慢げに言いふらす馬鹿な生き方はするものではない。塾の勉強だけが人生ではないと言うことを夏休みの経験や宿題から読み取れる人間になれば、捨てたものではないであろう。

学校側もわかっているはずである。どうせ宿題を出しても半数以上が親の手や他人の手が施されていることを。提出することが目的のみの宿題なのであればやらない方がいい。そこには内容や心が宿ってなどしないから。監視の目もなくあそび放題の4日間にもかかわらずつらい宿題をやりあげてきた事について褒め称える事の方が、人間は大きく育つのではないだろうか。

そして、クレームをいう人の立場からすると、確かに人は育たないと誰もが考える。あってはならない業種と声を大にして言いたいであろう。であるのであれば、匿名ではなく実名で訴えてはどうか。言うだけではグレーゾーンのビジネスはもっと増えるのみで、皆さんが盾となって阻止しなければいけないのではないか。また、文句を言う矛先は業者ではなく依頼主であるその親達です。親として失格だという正義心を訴え判らせて下さい。そして批判した人達が子どもの宿題を手伝ったり依頼したりしないように心がけて、運動も勉強も厳しく育ててほしいと思います。

ともあれ、今の非常識が10年もしないうちに常識になってしまう世の加速度の中で、子ども達が生き抜かなければなりません。せめて皆さんのお子さんだけは、タブレットなどに依存することなくあそぶ事ができ、勉強ができなくても努力することを忘れず、豊かな心を持てる人間でいられるよう、願っています。

ちょっと強引なまとめ方でしたが、代行業の存在そのものは私はアリだと思います。依頼人数が 0 となりこのような業者が自然消滅するかは、子を持つ親の努力しだいではないでしょうか。



2015年8月24日

寝屋川の事件から考える

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 11:13 PM

また痛ましい事件が起きてしまった。2人の少年少女は最悪な結果で発見されてしまった。

犯人の人物像や少年少女の足取りが連日報道されてはいるが、そもそもなぜその時間に少年少女が徘徊していたのだろうか?

2人の家庭環境はどうだったのだろうか? 夏休みだからといって未成年の深夜徘徊が許されるはずがない。

2人の命は戻りはしないが、この事件を教訓として、今一度家族の絆を深め、命の尊さと事の重大さを親も子も十分に考えてほしいと思います。



2015年8月6日

他己評価をどうとらえるか?

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 10:58 AM

スキップも11年目ともなると口コミやネットで色々な評価をされていると思います。

レッスンの内容や指導者の良し悪し、何より企業としての質。様々な人が様々な捉え方で評価をして拡散できる時代ですので、できることなら良い評価をされたいものです。

学習塾などはスキップ以上に他己評価を参考にしながら入会するのではないでしょうか?

習い事に限らず旅行先のホテルやレストランなどのサービス業は他己評価で行列になったり取材を受けたりしていますね。

でも何より大事なのは、その情報はあくまでも参考にすぎず最終的には自己判断です。

味・雰囲気・金額に対するサービス・体験した感想などは自分自身しかわかりえません。

「あそこのサービスは良いよ」をとるか「あそこのサービスは良いらしいよ」をとるかは人それぞれです。

私は情報無視の生き方で良いものを過大評価しがちですが、皆さんはどうですか?

 



2015年7月30日

大地の恵み

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 2:49 PM

自然とは本当に上手くできているもので、暑い時期にはみずみずしい野菜が食べて欲しいと言わんばかりに実を熟します。

トマト ・ キュウリ ・ ピーマン ・ ナス ・ スイカ ・ ゴーヤ・・・。

夏野菜は水分が多いので吸収がよく、体温を抑える効果もあります。

私の世代よりも前の先人達は、おやつもなく野菜を採っては食べたそうです。(私もやっていましたが・・・。)

熱中症予防にエアコンも大切ですが、夏バテ解消に季節の食べ物を十分に摂取するよう工夫が大切ですね。



2015年7月11日

平等な提供

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 1:42 PM

グループレッスンを途中退会された元会員様のからクレーム電話を頂きました。やり場の矛先がなくいてもたってもいられなかったのでしょう。

「みんなが5回やっているところをうちの子は3回しかやらせてもらえなかった。」

スタッフに話を聞くと「やれない」と拒絶をするのでみんなよりも少なくてもいいから頑張りなさい、と。

親御さんは、同額の月謝を払っているのだから平等に扱ってほしいと願っていたのに不平等だ、と怒りをあらわにしています。

見た目の回数で平等を図るのであれば、それは間違いです。フリードリンクでも同じこと。スタッフ達はお子さんの満足度を平等にレッスンを考えています。

5回挑戦した子はもっとやりたかったかもしれません。でもやりたくない子に関しては3回で逃れられたことに満足をしたはずです。

個人レッスンでしたらできないことに対して十分向き合うことが可能ですが、グループレッスンでは限界があります。その分満足度は全員にお腹いっぱい提供しています。

そこを理解してくださらなかった会員様ですから、レッスン料を払いたくないと今ももめています。

どうかご理解下さい。発達に遅れがあるお子さんも含めてスタッフ達は真剣にお子さんを預かっています。利益効率の悪い業務ですのでスタッフ達に給料も我慢してもらっている部分も多々あります。それでもこの仕事をしているスタッフ1人1人は、『何とかしてあげられないだろうか?』という思いと『ありがとう』の言葉に何回も助けられているからです。

意見やクレームは何なりと受け付けます。スタッフが個々の感性で子ども達全員が平等の満足度を提供できる環境を整えるために。



2015年7月6日

平等が子ども達をダメにする

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 11:31 PM

7月5日放送の 『ボクらの時代(動画添付)』 で討論をした 尾木直樹×泉谷閑示×乙武洋匡の3人のキーワードの1つ

『平等が子ども達をダメにする』

平等というより全部を同じ型にはめてしまうのが子どもをダメにすると思いました。

この子は可愛そう ⇒ だからみんな仲良くしよう。
給食 ⇒ 残さず全部食べましょう。
登校したら ⇒ 元気に挨拶しよう。
バレンタインチョコ ⇒ 絶対に学校に持ってこないように。

すべて規制になってしまっていることで子ども達は個性を失い、善悪の判断を失い、叱られる怖さも失い、良い子を演じる。

大人であれば公私混同はタブーな場合が多々あるが、子どもの頃はそうではない。顔や態度に出て当然です。

平等 ⇔ 型にはめてしまう  が日常化することによって、その枠に入りきれない子やその枠でくすぶっている子の爆発が起きてしまう気がします。

言いたい事があればとことん言って、相手の話もすべて聞いて、お互い考えよう。そうすれば 分かり合える。ではなく、相手と自分は違うんだということに気付く。

木村拓哉主演の朝倉内閣のドラマ 『CHANGE』 を思い出しました。

人類は法の下では平等ですが、力も学力も生き方も考え方も、型にはめてしまうのは問題のようです。

 



2015年6月12日

先生風をふかすな

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 11:53 PM

下関市の知的障害施設で、作業者に対しての暴言や脅し・暴力といった言動を録画した動画が元となって、職員が逮捕された。

何を学び、何を支援し、何を伝えたかったのかが皆目見当のつかない動画で、なぜ人を指示する立場で働けているのかが理解できませんでした。

スタッフ達には常に言い聞かせています。

『先生風をふかすな』

私達は先生と呼ばれる立場の仕事ですが、その言葉には不快は感じません。むしろ尊敬のまなざしで見られることがほとんどで、故に人間をダメにしてしまいます。

自分が行っているすべてが正しい。すべてが子どものために行っている。

こんな自惚れ発想が増幅して先生風をふかしてしまい、自分の思い通りにならなくなった時に、子ども達がわけもわからず叱られたり怒鳴られたり叩かれたりしてしまう。

世の先生達。今一度振り返ってみましょう。なぜ先生になったのか? そして、自分自身が先生として相応しいかどうかを。子ども達や親達に慕われているかどうかを。



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