2015年9月8日

キラキラネームから考える

Filed under: わからなカン — スキップ江原 @ 5:28 PM

先日体育レッスンで訪問した保育園の園長先生から、保育士研修で勉強された資料の一部を頂きました。その中に 『実在する子どもの名前です。読み仮名を書きましょう。』 とあり、10問ほどの名前だろう漢字がありました。

① 黄熊 = (      )
② 愛猫 = (      )
③ 美貝 = (      )

皆さんは読めますか? 私は読めませんでした。普通に読んで読めるものではなく全て当て字です。

日本国ができ、日本語があみ出され、読みに合う文字 (漢字・ひらがな・カタカナ)が開発され、手紙や看板・本や表札など広く用いられ、目で見て、読み、伝え、書く。といった行為が何百年と続いてきました。

が、言葉も生き物です。その時代時代にあった進化を遂げていきます。大手書店が辞書を毎年改訂しているのはそのためだと思います。

名前にはその子に対する両親が込められています。たとえキラキラネームでも決してあそび半分でつけた名前ではなく、生涯誰からも愛され呼ばれていくのですから、真剣に悩み考え命名したことでしょう。

であるものの、上記の名前は説明ナシでは読んでもらえないというのがあります。病院や役所などの公共施設で毎回説明する両親の精神的体力があればいいのでしょう。

また、いじめの対象にならなければと懸念はしています。親がどこまで守ってあげられるかです。あだ名や呼び方などの言葉遊びは時として心に大きな傷を生みます。

悪魔君騒動で命名申請を受理しなかった事が何年も前にありましたが、それを思うと役所も緩くなったなーと思います。

あと50年もすると、富さんや梅さん・はっつぁん・太郎さんのようなお爺さんお婆さんは存在しなくなるのでしょうね。



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