体育の日の連休で訪問した福島県南相馬市近郊も復興には程遠く、小学校数校が1つの建物に共存していたり、中学校に小学校数校が間借りしていたりという光景もあり、子ども達は限られた環境の中で毎日を過ごしていると思うと心が痛みます。
お世話になった 農家民宿 翠の里 のお父さんお母さんに案内され沿岸部を中心に状況を見に行きました。
作業中のクレーン上部くらいまで波しぶきが上がったらしいです。ちなみに手前の草地は全面が住宅街でした。
高台にある野球場跡地からの写真。右手が太平洋。左手に並んでいるのは新しく設置しようとしているテトラポット。沿岸部を右へたどって行くと東京電力福島原子力発電所につながります。
津波の際、テトラポットが1キロ先まで流されていたそうです。それはただ転がって行っただけではなく、凶器と化して人や建物に衝突しながらだそうです。そんなものを新たにまた並べようとしていました。当然それらが並んでいる場所も元住宅街です。建設許可はおりないでしょうし、下りたとしても何世帯の人たちが戻ってくるのでしょうか。
ちなみに撮影した元野球場も当時は避難場所だったようですが残念な事に避難した人たちも犠牲となってしまいました。
そんな場所に犠牲となった人たちを弔うための慰霊碑が建っていました。
仏様も海のほうを見て何度とこのような事がないようにと拝んでいらっしゃいました。
南相馬市を後にし、二本松までの途中にある飯舘村に入ると村人の姿はほとんど無く、沿道のほとんどで除染作業をしていました。
生活感の感じられないマスクをした作業者が作業をしている村の光景。2年半を経ても復興は急速には進まない現状がここにも見てとれました。
改めて私達に出来ること。今を一生懸命に生き、必要とあらばすぐにでも出向し楽しさを提供してあげる。益々感じさせられる今回の旅でした。